バイオ個性で食べて、心と体をつなぎ、健康と幸せを手に入れるホリスティックな食事法をコーチングする、ソフィアウッズ・インスティテュート代表 公認統合食養ヘルスコーチ(CINHC)、公認国際ヘルスコーチ(CIHC)の森ちせです。
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消費者としては、コマーシャルや商品のパッケージ等に使用されている、「ナチュラル」とか「天然」という言葉には、ちゃんとした定義があって、国の定めた基準に沿って使用されていると思いたいものです。
しかし、この言葉の使用ついて、厚生労働省も消費者庁も明確な定義や基準を設けていません。つまり、メーカーは自由にこの言葉を使用することができるのです。
そして、米国の食品医薬品局(F.D.A.)は、
「”ナチュラル”という言葉を定義することをあきらめた」
と発表しました。
えっ!?なんで?? と、私は困惑しました。
すると、このFDAの発表を受けて、ニューヨークタイムズ誌にマイケル・ポーラン氏が記事を掲載していました。その記事を読んで、
なるほど、「ナチュラル」という言葉を定義するためには、
かなり哲学的な考察が必要だ
と、いうことが良く分かりました。そのため、記事を和訳してお伝えします。内容を分かりやすくするために、ところどころ、ソフィアウッズ・インスティテュートが注釈を付け加えています。
なお、マイケル・ポーラン(Michael Pollan)氏は、カリフォルニア大学バークレー校のジョンS.とジェームズL.ナイトの称号を持つジャーナリズムの教授で、主に食と環境について活動しています。
著者: MICHAEL POLLAN、 2015年4月28日
目次
註: 文中の丸カッコ内と※で記載された文章は、ソフィアウッズ・インスティテュートによる補足です。
日常的な言葉の定義が争点に
日常会話によく使われる普通の言葉の定義が、連邦裁判所で争われることは日常的ではない。でも、まさにそれが、“ナチュラル”について起きたのだ。
“ナチュラル”チートスパフや“オールナチュラル”サンチップス、“オールナチュラル”ネイキッドジュース、“100%オールナチュラル”タイソン・チキンナゲットなどのように、商品と形容詞の意味に矛盾のある広告宣伝に関し、食品メーカーを相手どり、過去数年間に200件以上の集団訴訟が起こされている。
原告は、これらの製品には、高果糖コーンシロップや化学香料、合成着色料、保存料、遺伝子組換え食品など、通常、消費者が“ナチュラル”とは考えない原材料が使用されていると主張している。
人類の意識や心情の中にある何かが、未だ人為に侵されていないものごとを称賛する言葉を必要としているようだ。その言葉とは、今、“ナチュラル”なのだ。
この言葉は、形容詞として全てのものごとに適用できる。
例えば、実験室で人為的に造られ、不活化した(それ故、無害な)病原菌(=ワクチン)ではなく、生の病原菌そのものに暴露することで得られる“自然免疫”の優越性がワクチン反対者の間では信じられている。『医療の真実を追求するキャンペーン(Campaign for Truth in Medicine)』というワクチン反対者のウェブページの記事によれば、「ワクチンを接種することは不自然な行為」ということだ。
これとまったく同じフレーズが、かつて同性愛や、もっと最近では、同性婚を非難するために使われている。ファミリー・リサーチ協議会(Family Research Council)は、“自然婚”と呼ぶものと比較し、同性婚を好ましくないとしている。
ナチュラルが意味するものは?
では、我々は“ナチュラル”について話す時、いったい何について話をしているのだろうか?
それは場合によって変わる。この形容詞は、感動的に危険だ。この形容詞は、無意識の疑わしい仮説に基づいて使用される。
この仮説の最大の矛盾点は、
ナチュラルとは、
人類が製造したり加工したもの以外のもの
と、いう思い込みだ。まるで、我々は骨の髄から創造説の信者のようだ。
自然の修正力
“自然免疫”という言葉における、この形容詞は、人為の介入の欠如を示唆している。“自然の流れに任せる”ように、我々が何もしなければ起こるであろうプロセスに任せるという意味だ。確かに、薬のほとんどは、自然の流れに逆らうように創られている。まさにそのことが我々が薬を好む理由だ。死が、好ましいというよりも自然であるような状況において、少なくとも薬は我々を死から救う。
しかし時に、薬による介入が好ましくなかったり過剰になり過ぎることがある。そんな時、自然が起こす行為は、有益な修正力として働く可能性がある。
これは、人為の技術的な巧妙さが役に立たない、特に人生の始まりと終わりにおいて、“自然分娩”や、もっと最近では “自然死”の両方が我々にもたらす現実であるように思われる。
私は近いうちに“自然死”という言葉が多くの医者の口に上ると予測している。
“自然”という形容詞は、“自然死”のように、大抵のものごと、シリアル菓子から死に至るまでを好ましいものにしてしまう力を持っている。
人生の終焉を迎えた患者とその家族に、「延命措置をしない」ことを合意させるのは困難であろう。「延命措置をしない」は、まるで、おじいちゃんをバスの下敷きに投げ出すくらいの辛い響きが多くの人の耳にある。しかし、『医療倫理ジャーナル(Journal of Medical Ethics)』の論文によれば、「延命措置をしない」を「自然死を促す」という言葉に言い換えると、患者も家族も、そして医療従事者においても、まったく同じ行為に対し合意する可能性が高まる。
この言葉は、人の行為に適用される場合と、ものごと(スナック菓子も含めて)に用いられる場合では少し意味が異なる。
婚姻やある種の性的行為が“ナチュラル”と表現される時、この言葉は、戦略的に“ノーマル”や“伝統的”と同義に用いられるが、“ノーマル”や“伝統的”のどちらも”ナチュラル”ほど形容詞としての重さをもっていない。“ノーマル”という言葉は、今や、偏見的モラルにあまりにも浸りきってしまっている。
人間の低俗さを超越したもの
一方で、“ナチュラル”は人間の低俗さを超越したところを浮遊している。
かつて“神の法則”と呼ばれたものの現世バージョンのように感じられる。
まさしく、それは、権利を付与し善悪を裁くことを、神にではなく自然に求めたアメリカ創立者達にとって、“自然法則”が果たした役割と同じである。
“伝統的”結婚は、もっと保身的な表現かもしれないが、“伝統的”は、”ナチュラル”よりもずっと弱い形容詞だ。
伝統は、時代とともに、文化ごとに変化する。そのため、時代も文化も関係なく、混沌とした疑義のある歴史の影響から超越していることが感じられる“ナチュラル”がもつ権威に比べ小さな力しかもたない。
自然主義的誤謬
ここでの暗黙の了解は、“ナチュラル”は、モラルや倫理的価値観に耐え得るという前提、そして、我々は自信をもって倫理的価値観とは何かを述べることができるという前提だ。
哲学者たちは、これをしばしば、“自然主義的誤謬”と呼ぶ。
自然主義的誤謬とは、(自然界の)何ごとも、なるべきようになるという考え方である。しかし、我々自身を諮るための、モラル・スタンダードと志すべき価値観を自然が提供するとしたら、いったいそれはどんな価値観なのか?
「自然、それは血で赤く染まった歯と爪」(※弱肉強食の意)で表現される、人は自分のためだけに生きているという暴力的で競争的な価値観なのだろうか?
それとも、コミュニティの意志が個人の意志を排除する、蜂や蟻の巣で見られる協力の価値観なのだろうか?
同性婚反対者は、動物界に一夫一妻制の例だけを見る。しかしそのためには、同じくらいの頻度で観察される動物界の一夫多妻制の例や、増えつつあるあからさまな同性性の例を無視する必要がある。しかし、動物界におけるレイプや、子殺しに非常に似た行為の、うろたえてしまうほどの発生率や平均的な家猫の明らかにサディスティックな行為を見過ごしてはならない。
アメリカのピューリタンは、自然を「神の第二の本」と呼び、今日我々がするように、モラルの指南書として自然現象を解釈した。また、探し廻れば、我々の行いや主張のほとんど全てを正当化できる文章を聖書の中に必ず見つけることができるように、ほぼ全てのことを正当化するために自然現象をあさりまわることもできる。まるでアハブの凶暴な白クジラのように、我々は、無地のスクリーンであるかのうように自然に見たいものを投影する。
ナチュラルは何でもよいのか
であれば、何がナチュラルなのかと問う時、何でも構わないのだろか?
私はそうは思わない。実際、哲学的な知恵を食品医薬品局(F.D.A.)から得ることができると私は考える。
連邦裁判において、“ナチュラル”という言葉に対して起された集団訴訟に適用できる、“ナチュラル”の定義を見つけることができなかった3人の裁判官が、F.D.A.に言葉を定義するよう命令書を記している。
F.D.A.は、何度か定義することを試みたものの、結局、定義することを拒否した。
F.D.A.が裁判官に提供した唯一の提言は、
“ナチュラル”と表示された食品は、「人工でも合成でもないもの」であり、
「人工あるいは合成されたもの」とは、
通常、食品に含まれているとは思われないもの
であった。
F.D.Aは、そのホームページで
「食品を“ナチュラル”と定義することは困難である。
なぜなら、食品は大抵、加工されており、
それはもはや地球の産物ではないからである。」
と、述べている。つまり、この点について、あまり突き詰めない方が賢明であると、食品業界に対し示唆しているのだ。でなければ、売るもの全てがナチュラルではないということが露呈するからだ。
F.D.Aの哲学者は、たぶん正しい。
少なくとも余白で“ナチュラル”の定義を確定させることは不可能だ。しかし、その余白と余白の間には、常識という広大な空白が横たわっている。“ナチュラル”には、かなり頑強な反対語 – 人工と合成 – がある。
少なくとも相対的な価値観では、どちらが“よりナチュラル”かを述べることはそれほど難しいことではない: きび糖か高果糖コーンシロップか?鶏肉かチキンナゲットか?遺伝子組換え食品かエアルーム(伝統)品種か?
真にナチュラルなものは宣伝しない
スーパーマーケットで、本当にナチュラルな食品が、言葉使いに気配りすることは希だ。
君に「これはナチュラルだ」と告げている食品は、ナチュラルではない。
常識の岸を超えて冒険することは、たぶん賢明ではない。
なぜなら、あまり遠くないうちに、スキュラ(※スキラの巨岩に棲む6つの頭と12本の足を持つ女の怪物)やカリブディス(※シシリア島沖の巨大渦潮)に遭遇するからだ。
ナチュラルという言葉がもつ意味の幅の、一方の端には、ナチュラル以外のものは何もない。我々人類は、他のすべての種(しゅ)を創り出したプロセスと同じプロセス – 自然淘汰 – の結果、存在している。つまり、我々も、我々が為すことも、全てナチュラルだということになる。だから、君のナゲットをナチュラルと呼んではどうか。しかしそれは、全ての物質は分子でできていると言っているのと同じだ。つまり何も言っていないのと同じだ。
意味の幅のもう一方の端では、人間性は、ある意味、自然の外側にある。我々のほとんどが未だに疑問もなく、その存在を信じている、人類が何等かのかたちで変容させていない自然がまだあるというのだろうか?大気中の化学成分に始まり、農耕や料理という文明習慣に応えられるよう、長く進化させてきたスーパーマーケットの植物や、動物の遺伝子、人体そのものまで、我々は全てをごちゃまぜにしてしまっている。
もし君が人間例外説を信じているのなら、自然は既に終わっている。
我々は、たぶん、価値観をどこか他に見つけなければならない。
原典: “Why ‘Natural’ Doesn’t Mean Anything Anymore”, APRIL 28, 2015
ソフィアウッズ・インスティテュートが思うこと
「ナチュラル」や「天然」以外にも、「無添加」という言葉も最近よく目にしますが、これにも正式な定義や基準はありません。これも厚生労働省も消費者庁も明確な定義や基準を設けていません。ですから、メーカーの自由です。
何かひとつでも従来品と比較して使用していない食品添加物があれば「無添加」と表示されているのが現状です。
香料が添加されていても無添加です。
人工甘味料が入っていても無添加です。
人工甘味料や酵母エキスは、化学物質ですが、食品添加物ではなく食品扱いですから、入っていても「無添加」と表示できます。
「無添加」という表示は、
添加物がひとつも入っていない
化学物質は使っていない
と、いう意味ではないんですよ!
例え言葉として定義できなかったとしても、食品パッケージなどに表示をする上での基準を設けることは可能ではないかと、思うのです。
ナチュラルや天然や無添加という言葉を宣伝や広告や食品パッケージに用いる際の、明確な使用基準、実用的・実務的な定義が必要だと強く思います。
例えば、「無添加」と表示するためには、天然であろうが合成であろうが、食品添加物がひとつも使われていてはいけないとか。
皆さんはどう思われますか?
2022年4月追記:
消費者庁が、製品に「無添加」と記載するための基準を設け、それ以外を禁止にしました。詳しくは、『無添加表示が禁止に』をご覧ください。
ソフィアウッズ・インスティテュートからのアドバイス
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