ルイ・アームストロングとジョン・デンバー

2019/03/14/

バイオ個性で食べて、心と体をつなぎ、健康と幸せを手に入れるホリスティックな食事法をコーチングする、ソフィアウッズ・インスティテュート代表 公認統合食養ヘルスコーチ(CINHC)、公認国際ヘルスコーチ(CIHC)の森ちせです。

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父が2月24日に亡くなりました。享年86歳。

父は60代になった時、心筋梗塞を起こし入院しました。その知らせを母からもらい、1月15日に新幹線で東京から実家へ向かっていたところ、米原の大雪のため小田原で止まってしまい、車内でやきもきしながら過ごしたことを今でも覚えています。

その後も心筋梗塞と脳梗塞とがんを次々に発症して、それでも前向きな気持ちを持ち続けていた父。尊敬しています。

昨年の大晦日に変な咳をし始めたので、救急を呼ぼうか?と尋ねた時も大丈夫との返事でした。なので薬局へ行き、心臓病の薬を飲んでいる人にも副作用のない咳止めを薬剤師さんと相談しながら購入し、それを更に半分の量に分けて、父に飲ませることにしました。少しだけ咳が治まり、父も楽になるようでした。

私が買ってきたアーモンドやピスタチオ等のナッツ類を一緒に半分こにしながら食べたり、母が茹ですぎて栗きんとんにできなくて横に避けられていた栗を、そのままではもったいないので、ハチミツを混ぜて潰して茶巾にしておやつに出したら「美味しい!」と目を輝かせて食べてくれました。

新年の準備として、神棚のお鏡を磨くのですが、その磨き方を子供の頃から父がやっているのを見て育ちましたから、東京でも同じ方法でやっていると伝えると、まんざらでもなく嬉しそうで、実家の神棚のお鏡も、これからは私に磨いて欲しいと言ったり、家の中で失くした大切なものの捜索をお願いされ、懐中電灯をもって階段下にもぐらされたりと、今から思えば、自分がいなくなる前に、気がかりなことを私に依頼したのかもしれないと思うのです。

父と過ごした最後の年末年始は、そんな病気をもちながらも父は比較的元気で、一緒に笑い、一緒に食べ、孫たちと一緒にお節を囲み過ごしました。

1月4日になって、介護タクシーを呼び、念のための検査に病院へ連れて行きました。先生から抗生物質が処方されましたが、父の咳は治りませんでした。でも、それほどの緊急性は感じられませんでした。そのうちに治るだろうくらいに思っていました。

1月中旬には、私は東京へ戻っていました。

2月に入ってからも咳は続いていたようですが、月初に父に会った人達によれば、元気そうだったとのことです。

それが、中旬に入ると市立病院に緊急入院となり、母から連絡をもらって病院に行った時には、頬がげっそりとコケ、酸素吸入マスクをつけていました。

ほんの1か月前には元気そうだったのに、いったい何がどうしたらこんな風になってしまうのか。父を目の前に茫然としました。

今から思えば、父の咳はウイルス性のものだったのかもしれません。であれば、当初の病院で処方された抗生物質で治まらなかったとしても不思議はありません。しかし、その時はそんなことに思いもよらず、医師が抗生物質を処方してくれたのだから安心だとすら思っていました。あの時の検査でウイルス性の可能性を医師が気がついてくれていたら・・と思わずにはいられません。今更ですが。

緊急入院時の検査では、肺はもう真っ白で水もたまり、もう長くはないとのことでした。

少しでも父の気持ちが和らげばと思い、自宅で使っていたアロマのディフューザーを病室に持ち込み、ラベンダーに少量のユーカリをブレンドしたものを断続的に噴霧することにしました。

呼吸器をつけていた父に香りが伝わったかどうかは、父に訊きませんでしたのでわかりません。でも病室に入って来る看護師さん達が、「まぁ!いい香り!」「この部屋は癒される~」等と言うと、子犬のような真丸い黒い目で私を見つめ嬉しそうにしてくれました。

昔からダンディなことが好きで、お洒落な父でしたから、こんな時でも若い女性から「素敵!」と、言われるようにしてあげたことが嬉しいようでした。

父のダンディ男としての尊厳を守る小さなお手伝い。小さな小さな親孝行(笑)あの時の私に向けた父のまなざしで、私は救われています。

本人の希望もあり、延命措置はしない。後はいつ鎮痛剤の投与を増やし永眠に苦痛なく導くかだけでした。

本人の苦痛をできるだけ早く取り除いてやりたいという弟と、ただ死を待つだけになってしまう鎮痛剤の投与のタイミングについて喧嘩になりました。

鎮痛剤を増量したからと言って、直ぐに息を引き取るわけではないと言われましたが、それが「いつ」かは、誰にも分らないことです。

結局、弟と母の判断で鎮痛剤の投与が行われ、間もなく最期は、母と弟と孫たちに看取られて亡くなりました。弟の誕生日の前日でした。

生前、弟があまり信心深い様子を父に見せないので、それを心配していた父ですが、弟にとって決して忘れられない日となりました。ある意味、父の勝ちですね(笑)

そして、通夜と葬儀の日の夜、不思議なことがありました。

二晩共に、ベッドに入ると強いお線香の香が私の部屋中に焚ちこめたのです。髪は洗ったので髪についた香ではありません。

そのまま寝落ちましたが、夜中にその強い香りで目が覚めました。

すると、柔らかな楕円形の光が空中にただよっている様が見えました。不思議と怖いという感情は生じなかったため、きっと父なのだろうと思っています。

私は子供の頃から、時々、いろいろなものを見るので、あまり驚きません。見ると言っても、稀に偶然に見えるだけで、自分の意思で見たりすることはできません。

例えば、神社などで、突然、黒い小さな犬のようなものが足元をものすごいスピードで横切り、「うわぁ!」と言いながら、飛び退いたことが何度かあります。一緒にいる母は何も見ていません。父は狛犬さんが悪戯をしたのではないかと言っていました(笑)

サンルームのカーテンを開けて、母が手芸部屋にしている小さな部屋に入ると、母の実家(故祖父母の家)の匂いがしてきました。子供の時の記憶の中の祖父母の家の香がしているのです。 今までこの部屋でその香りがしたのは一度だけ。祖母が亡くなった時です。そして、今回2度目。

母を心配して、亡き祖母がお悔やみに来てくれているのかもしれないと思い、それを母に伝えました。

母は「あなたという子は、本当に・・・」と、言葉を詰まらせていました。

その日の夜、夢を見ました。

妹が誰かの非常に高価な品を怒りに任せて壊してしまい、その弁償をすることになったのですが、父が母に、母がそれを壊したことにして罪をかぶって欲しいと言い、母が声を上げて泣き、家から飛び出そうとしたところを、父が腕をつかんで止め「堪えてくれ」と言う夢です。

現実的にそんな事件が起きたことは一度もありませんし、母が声を上げて泣いたのを見たこともありません。夢は、大概、意味不明なものなので、きっと意味はないのだと思います。が、あまりにはっきりと覚えていて、母に「お母さんが声を上げて泣くのを初めて夢で見た」と、伝えました。

東京に戻ってきてからも不思議な夢を見ました。

それはあまり詳細を覚えていないのですが、父が丸々太った小さな男の子になってしまった夢です。こんなに小さくなっちゃってと父を抱きしめた夢でした。

夢の中で声を出して、私は泣きました。何がそんなに悲しかったのかもう覚えていないのですが、小さくなった父を抱きしめて声を上げて泣いていました。自分の泣き声で目が覚めました。

それからしばらくは、夢を見ていません。

父は大学生時代からルイ・アームストロングやエルビス・プレスリーが大好きでレコード盤を何枚か持っていました。

出棺の時に流すBGMを、生前に弟と、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」に決めていたようです。

今までは、ただ、いい歌だなぁ~と思っていただけの曲ですが、あらためて、父との色々を想いつつ、その歌詞を考えると、胸が張り裂けそうになります。父は寛容と忍耐の人でした。その優しさが痛いほどに伝わってきます。

You Tubeで流していたら、You Tubeが勝手に次の曲にジョン・デンバーの「Take me home, Country Road」を流し始めました。

私は高校1年生の時にジョン・デンバーが大好きで、それで米国のコロラド州に住みたいと思うようになり、意図した訳ではないものの、気がついたら結果としてコロラド大学に進学し、気がついたら夢が叶っていた出来事のひとつです。

この歌も大好きでしたが、歌詞の意味を深く考えたことは一度もありませんでした。ただ、故郷を離れていた青年が久しぶりに帰省する途中で、家族や故郷を思って歌った歌ぐらいにしか思っていませんでした。

今回、改めて、歌詞に耳を傾けていると

母親の死に間に合わなかった青年が、「昨日、家に帰えれば良かった(あと1日早ければ)」と、実家に向かう車の中で後悔を歌った歌であることに気がつきました。

優しいメロディとジョン・デンバーの美しい歌声で、歌の本当の意味を知らずにいました。

You Tube がこの並びで曲を流したのは、AIの勝手な仕業で偶然です。この時まで、You Tube でルイアームストロングもジョンデンバーも検索したことがないのですから、私のプロファイリング的アルゴリズムの結果ではないはずです。

この偶然の流れに大泣きしました。

このブログを書きながらも涙が溢れます。

とはいえ、基本的には、もう大丈夫です。冗談も言うし、大笑いもします。メソメソなんてしていません。ただ、ふとした時に色々なことが思い出されて、電車の中にいても涙が出てきてしまうことがあるだけです。

私は、父が好きでした。父が私を誇りに、そして自慢に思ってくれていたことも知っています。それが疎ましくもありましたが、父の前では小学生の娘に戻れました。

父との思い出は、また機会があったら、書くかもしれません。今回は、葬儀の前後のことをここに文章にして書くことで、悲しみの浄化作戦。

お付き合いくださってありがとうございました。

今回、ブログ記事を全て見直す作業をしていて、このブログも読み直していたところ、本葬の翌日の夜に見た夢が、昨年(2023年)にほぼ正夢になっていたことに気がつきました。

実は、妹が家の中から非常に大切なあるものを持ち出す口実として、母を責め悪者にし、実家と関係があった人たちに対しても母に非があるかのように伝え、交流を断つよう進言するという事態が起きたのです。それは現在も進行中で、持ち出されたものは返されていません。「妹が壊したものの罪を、母にかぶせる」という大筋で正夢になっていることに気づき、あの時、夢の中で父が母に「堪えてくれ」と言っていたのは、このことかと感服しています。

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